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「受験に集中させるために、習い事は一度整理した方がいい」。
そう助言されることは珍しくありません。でも私は、その考え方にどうしても納得ができませんでした。音楽、スポーツ、英語。
それらは単なる「習い事」ではなく、
**子どもの才能や世界を広げる“入口”**だと思っているからです。
小5・小6という、心も体も大きく伸びる時期に
それらをすべて手放してしまうことへの違和感。
そして、詰込み型の受験文化への疑問。
今日は、
我が家が「習い事を続ける」という選択をした理由を
率直に書いてみたいと思います。
受験のために習い事は整理するべきなのか
小6になると、こんな場面が一気に増えます。
- 「来年受験するので、サッカーチームは今シーズンで辞めます」
- 「受験が終わるまで、ピアノはお休みします」
- 「英語教室はいったん退会します」
それぞれの家庭が悩んで出した結論なのだと思いますし、その選択自体を否定するつもりはありません。
どこの塾でも、
「せめて受験の1年だけは、
すべての習い事を中断して勉強に集中すべき。
受験はそんなに甘くありません」
といったアドバイスをしているのも事実です。
信頼している塾からそう言われれば、保護者も子どもも「そういうものか」と受け入れるのは自然な流れでしょう。
しかし、私はここで立ち止まりました。
本当に、それが子どもにとって最善なのだろうか?
長男に聞いてみた、本音の答え
そこで我が家でも、
受験する本人である長男に、率直に聞いてみることにしました。
「受験に専念するために、
今の習い事をすべてストップする考え方もあるみたいだけど、
龍馬はどう思う?」
すると、少し怒ったような口調で、
こんな返事が返ってきました。
「子どもの夢を壊すな!
サッカーだってもっと上手くなりたいし、
ピアノだって、来年の発表会では
『ショパンのボロネーズ』とか
『パイレーツ・オブ・カリビアン』みたいな
かっこいい曲に挑戦したい。英語は世界共通語だって言ってたよね?
習い事を全部やめて受験に専念するって考え方は、
僕は間違っていると思う。
僕は、全部やめたくない。」
現在の習い事は、
サッカー、ピアノ(音楽教室)、英語、そしてオンラインでの中国語。
サッカー以外は、幼いころに親のリードで始めたものでした。
けれど、気づけば 7年以上続いている日常 になっていました。
この言葉を聞いたとき、
「この子なりに、自分の大切なものをちゃんと分かっている」
そう感じたのを、今でもよく覚えています。
サッカー・ピアノ・英語・中国語を「やめない」理由
サッカー(運動)
将来プロを目指していなくても、
小学校高学年で体を動かし続けることには
計り知れない価値があります。
- 体力づくり
- 仲間とのコミュニケーション
- 試合での判断力やメンタルの強さ
これらは、机に向かう勉強だけでは得られません。
ピアノ(音楽)
ピアノのように両手を別々に動かす楽器は、
運動・聴覚・集中力など、
脳の広いエリアを同時に使うと言われています。
特に、
- 左手の中指・薬指を意識して動かす
- 両手で違う動きをする
といった動作は、脳にとって大きな刺激になります。
また、合奏や音楽会のように
周囲の音を聴きながら演奏する経験は、
一人で弾く以上に高度な脳の働きを必要とします。
そのぶん、本番をやり切ったあとの
子どもたちの達成感は、何ものにも代えがたいものです。
英語・中国語(語学)
AI翻訳がどれほど発達しても、
- 自分の言葉で
- 自分の感情を込めて
- 英語で伝える 中国語で伝える
という経験の価値は、これからも失われません。
通じなくて落ち込み、
それでももう一度話してみる。
その積み重ねが、
「ことば」と「人」を結びつける力になります。
「全部やめて受験に集中」は、本当に覚悟か?
「すべてをやめて、受験にオールインする」
その選択は、一見すると
覚悟ある決断のように見えるかもしれません。
けれど私には、
失うものもあまりに大きい選択に思えました。
だから我が家では、
- 習い事をすべて手放すのではなく
- 優先順位と時間の使い方を見直しながら
- 受験も、習い事も、できる限り続ける
という道を選びました。
習い事は「脳と人間性」を育てる
音楽・運動・語学といった習い事は、
プロを目指さなくても、子どもの成長に大きく貢献します。
- 音楽や英語のような「耳を使う学び」は
音の聞き分けや言語処理能力を高める - スポーツは、体力・骨・心肺機能だけでなく
判断力や社会性も育てる
こうした研究報告も数多くあります
AI時代だからこそ「やってきた経験」が残る
これからの時代は、
- 音楽を「聴る」だけでなく、演奏した経験
- スポーツを「観る」だけでなく、プレーした経験
- 翻訳文を読むだけでなく、原文で考えた経験
といった、
自分の身体と頭を使ってきた経験が
より大きな価値を持つようになります。
そして、それに全力で向き合えるのは、
小学校高学年から中学・高校にかけての限られた時間です。
まとめ:手放さない受験という選択
だからこそ、
受験のためにすべてを手放すのではなく、
- 続けられるものは続けながら
- 工夫しながら
- 子どもの未来の可能性を広げていく
そんな受験の形があってもいい。
そう思いながら、このブログを書いています。
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